私たちの知っていることとそぐわない発見もある。
それを場違いな人工物、オーパーツと呼ぶ。
オーパーツは古代の人々が現代技術について知っていたことを見せつけているようにみえる。
1 古代エジプトの航空機
古代エジプト人は飛行の原理を理解していたのだろうか?
サッカラ鳥はそう出会ったと示していると考えている人もいる。
エジプトのサッカラ鳥は紀元前200年にまでさかのぼる。
何のために作られたのか誰も知らない。
おそらく、それはオモチャだろう。
エジプト人は航空の原理を知っていたことをサッカラ鳥は示しているのだろうか。
エジプト人はよく実際の工芸品のモデルを墓に入れており、サカーラ鳥は現実の飛行機をモデルである可能性がある。
科学者たちはこの設計を基にしたモデルを試験し、サカーラ鳥は飛ぶことができたとわかった。
おそらく、エジプト人はサッカラ鳥の1000年前には航空原理を理解していたのだろう。
紀元前1280年頃に建てられたセティ一世葬祭殿には、ヘリコプターにも見える象形文字ある。
古代エジプト人はどこで飛行物について学べたのだろうか?
2 さらなる航空機
サッカラ鳥の数世紀後、キンバヤ文明が地球の裏側の現南アメリカに存在していた。*halfway across the world:地球の反対側
キンバヤは金の人工物で有名である。その人工物の一つが飛行機みたいなのだ。
飛行機はおそらく昆虫や鳥をモデルとしている。しかし、この設計でのモデル建造は実際に飛ぶことができると考えている人もいる。
1990年代、エンジンを取り付けたキンバヤ飛行機のモデルは離陸する事が出来た。
ほぼ同じ時期にキンバヤからそれほど離れていないところにマヤ文明が存在した。
古代マヤ人が宇宙旅行を知っていたと考える人もいる。
彼らはパカル1世が埋められた墓について指摘する。
615年から683年にかけて、彼はマヤを支配した。
パカル1世の墓は彼が宇宙船にいるようにみえる。
彼はマスクを身に着け、手にはいくつかの制御装置があり、左の足はペダルの上にあるようにみえる。
外側にはロケットエンジンのように見える小さな炎が見える。
キンバヤの飛行機が近代の飛行機のように見え、パカルの墓が宇宙船のように見えることを私たちはどのように説明できるだろうか?
3 中東の巨大円
1920年代、ヨルダンの砂漠で不思議なサークルがいくつか見つかった。
近年、科学者はこれらの不思議な人工物をいくつか写真に撮るために衛星を使った。
それらは現在、中東の巨大円と呼ばれている。
人々によると、これらはあまりに大きいため高い上空から計画しなければ、作ることはできなかっただろう。
ヨルダンに12個、シリアに1つ、トルコに2つのサークルが発見された。
これらの巨大なサークルは石でできた低い壁だ。
高さが1メートルのものもあるが、高さがほんの数センチのものもある。
それらは直径が約400メートルで、ほとんど完璧な円形になっている。
サークル内や近辺で見つかった物質から、その年代は紀元前4500年から紀元前2000年の間のものとわかった。
それらはローマ時代の間、7世紀に至るまでずっと創られていたと思われる。
これらのサークルの目的や、どのようにして作ったかを誰にもはっきりわからない。
なぜならそれらは低く開口部がないので、動物を囲うためには使われなかったと考えられるためだ。
ほぼ完璧な円はおそらく上空からでも入念な計画が求められたはずだ。
どのようにして彼らは上空に行ったのか?
4 さらなる謎の絵
中東の巨大サークルだけが謎の絵ではない。
キンバヤとマヤの文明とほぼ同地域、同時期に、ペルーの人々はナスカの地上絵を作った。
鳥や動物の絵はあまりに大きいため、上空からしかはっきりと見ることができない。
巨大サークルのように、 俯ふ瞰かん 図の助けなしには、それらを作れなかったと考える人もいる。
航空機や宇宙船からしか見ることができないのに、どうしてそれらをわざわざ作ったのだろうか?
たとえ象形文字がヘリコプターのように見えたり、墓が宇宙船のように見えても、それは絵の解釈の問題だ。
しかし、サッカラの鳥とキンバヤの飛行機は本当に飛行することができた。
そして、巨大サークルとナスカの地上絵は実際には俯瞰図(ふかんず)なしでは建造するのは難しいように思える。どのようにして、これらの謎を説明できるだろうか?
古代の人々は宇宙人に訪問されたと言い、早合点する人もいる。*jump to conclusion:早合点する
一方、オーパーツはすべて偽物だと言う人もいる。
たとえどんな立場にあっても、現時点では説明できない謎があることを認めなければなりません。
おそらく私たちは心を開いておくべきなのだろう。
アインシュタインが信じるように、神秘的なものは「すべての真の芸術と科学の源泉」なのだ。