初めてピーナッツの漫画が登場したのは60年以上前だ。
漫画家のチャールズ・M・シュルツは2000年に亡くなったが、古い漫画は出版され続けている。
毎日新しい読者がピーナッツのキャラクターを発見するのだ。
チャーリー・ブラウン、ルーシー、ライナス、スヌーピー。彼らは半世紀以上に渡り雑誌や新聞に登場してきた。世界中に何億人ものファンがいる。隣家の子どもの名前を知らない人も、自分が勝てると信じて疑わない小さな「負け組」を、いつも他人に忠告をする少女を、毛布を常に持っていると落ち着く小さな男の子を、そして全ての中でもっとも有名な、自分のことを戦闘機パイロットや偉大な作家だと思っているビーグル犬を知っている。
彼らがマンガ『ピーナッツ』の主なキャラクターだ。
なぜこのマンガはそんなに人気があるのだろうか。なぜピーナッツは世界中の人々の心をとらえたのだろう。
漫画ピーナッツの作品をいくつか見て、この問いに答えを見つけられるかどうか見てみよう。
その日は父の日で、バイオレットは自分の父について話している。彼女はチャーリー・ブラウンに、自分の父はチャーリー・ブラウンの父より裕福でありスポーツも上手いと言う。チャーリー・ブラウンには言うことがほとんどない。彼はただ自分の父の床屋にいっしょに行こうとバイオレットを誘う。
そして父は自分を好きだから、どんなに忙しくても必ず満面の笑みを与えてくれる時間があると言う。バイオレットにはこれ以上言うことがない。彼女はただ立ち去る。彼女の父のお金や運動能力は、ひとりの父親の息子に対する素朴な愛情の足元にも及ばないのだ。
ピーナッツの多くのエピソードが、そのような家庭生活の心温まる側面に焦点を当てている。ピーナッツを生み出した漫画家チャールズ・M・シュルツは、自分の幼少時の人々や出来事を漫画に反映させている。そしてこれが、ピーナッツの漫画が世界中の人々に非常に人気のある理由のひとつなのかもしれない。
漫画の中では、ライナスはホームチームがフットボールの試合に勝ったため、興奮している。チャーリー・ブラウンは静かに耳を傾け、ライナスに素朴な質問をする。「相手のチームはどういうふうに感じただろうか」
チャーリー・ブラウンは自分自身が失敗を経験しているので、失敗した他の人の感情をわかっている。彼は私たちに他人のことを考えさせる。
多くの面でチャーリー・ブラウン自身は負け組だ。彼はそれほど学業優秀でもないし、スポーツも得意でない。クラスのかわいい女の子は彼に目もくれない。富と権力がとても重要な世界なら、チャーリー・ブラウンは負け組だ。
しかしチャーリー・ブラウンは決して本当に負けはしない。彼は決して自分をあわれまない。彼は常にさらに良い明日を望み、挑戦し続ける。おそらくこれこそが本当の勝ち組を作るのだろう。
漫画ピーナッツのありふれた面白さではない。大笑いするというより微笑むようなかんじである。しかし、私たちをなんとなく気分よくしてくれる。翌日もまた新聞紙上でチャーリー・ブラウンとライナスとスヌーピーとそのほかすべてのピーナッツの登場人物に会いたくなる。
彼らがそこにいないと、遠くに行ってしまった友だちを思うかのようにさみしい気持ちになるだろう。それは友だちがいつも私たちを笑わせてくれるからというわけではなく、いつも自分自身について安心感を与えてくれるからだ。
チャールズ・M・シュルツは、人生の本当の成功とは金や名声や権力の問題ではないと訴えているように思われる。むしろ、希望や勇気や他者を尊敬する心、そしてなによりユーモアのセンスによって決まってくる。彼はかつてこう言っている。「もし若者たちになにかプレゼントをする機会が与えられるとしたら、私は個々が自分自身を笑える能力を贈るだろう」
50年近くに渡り、チャールズ・M・シュルツは来る日も来る日もピーナッツを一度に一話描いた。
しかし1999年末、シュルツは自分がガンであり、これ以上描き続けられないことを知った。
読者にさよならを言うため、彼はお別れのマンガを描き、それは約 6 週間後に掲載されることになっていた。
もし彼があと一日長く生きていれば、その印刷されたものを見ていただろう。
悲しいことに、彼はそのマンガが出る前の日に亡くなった。
2000年 2月13日、世界中の『ピーナッツ』ファンは目覚めると、『ピーナッツ』の登場人物もその作者ももういないことを知った。
私たちは彼らを自分の友だちと考えるようになっていたが、その彼らはもういなくなってしまった。
チャールズ・M・シュルツと『ピーナッツ』は、その独特のユーモアと歩み続けるための優しい応援で、私たちが世知辛い世界に向かっていく手助けをしてくれた。
新しいピーナッツ作品が出ることはないが、古い作品はこれから何年も読まれるだろう。
そして本当の成功は、他者への感受性、小さな親切な行い、たとえ大きな困難に直面しても希望を持つ勇気の中にあることを、私たちに気づかせ続けてくれるだろう。